ジャズ練習日記    ~へろへろジャズレポはリンクフリーです。~


by ko-charlie-ko
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 今日、久しぶりに表参道のアニウ゛ェルセル表参道でシャガールを見てきた。ボクはこういった絵画を説明するだけの語彙をもっていないため、文章にするといささか誤差が生じるとおもうのだが、まあまあまあ気にせずに!
 ボクは個人的にシャガールという人は大好きだ。なぜと言われると、、、う〜んなぜだろう。とにかく初めてシャガールを見たときはもう、、、なんとも言えないかんじだった。う〜んとりあえず絵画ってこんなにいいものなのかと思った。それくらいシャガールの絵には不思議な力が宿っていると思う。なんというのか、シャガールの絵は見ると、自分の中のどこか「氷みたいな物」が融けていく感触がある。それはボクの陳家な語彙では表現しきれないが、しいて言うなら自分の負の感情「妬み」「焦り」「暴力的な何か」「悲しみ」とか、、、うんよく分からないけど、そういうものが融けていく感触に見舞われ、ああ明日も頑張ろうと思ってしまいそうな感じ、、。
 それは、一般的にシャガールの絵の解説に使われる「愛」とか「希望」とかの感情が自分の中でくすぶり始めるという感じかなぁ〜ちょっと語彙が足らない、そんな陳家な2・3文字で表せるものではない気がするが。
 シャガールはその作品を見てみると、なにより本当にこの人は絵を書きたくて書きたくてしょうがない、、、う〜んちょっと違うかな、、、自分が思ったことを表現したくてしたくてしょうがないのかなと思わせるとこがある。今まで見てきた芸術作品(音楽表現を含め)の中にこういうのがどれだけあったかと思い返してみると、指5本も必要ないのではないかと思う。だれかと言えば、う〜ん、系統は全然違うし、主張も対象の位置にいる日本のフリージャズの「阿部薫」がなぜか頭によぎる。彼はシャガールとは対象に「死」の香りがぷんぷんするが、何か表現しようとする感情が飽和状態に達して、空間の裂け目から漏れてくる印象がある、、、う〜ん、どうも言葉は難しい。なんて、まあこれはこの辺にして。
 シャガールは非常に色彩が豊だなぁ。やはり、「感情」「場の空気」が色彩と関係をもっていることは、音楽を含め芸術諸々にも多くの表現において考えさせる余地を与えてくれるであろうと思う。
 なんだか眠いなぁ。寝ます。
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by ko-charlie-ko | 2004-12-30 02:54 | 表現・芸術について思うこと

12月29日の個人練

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 今日は練習の終わりにセッションがあった。曲はあんまし知らないやつだったのだが、珍しく先輩に「いい」といわれた。知っている曲は褒められなかったが、その知らない曲のソロはいいという。ふむ、なぜだろう。おそらく、知らない曲だから、メロディーをフェイクし、コードに忠実に吹き、モチーフとかも使った。でも良かったと思ったのはコードトーンを使ってメロディーを構築したことだ。やはり、コード感というのは非常に重要なのだと思った。パーカーのソロはあんなにいろんな音が入っているのにコード感が消えていない。やはり今後はコード感をしっかり保ちつつ、コードトーンを中心とした「歌」をソロでできるように頑張ろう。
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by ko-charlie-ko | 2004-12-29 00:34 | 個人練日記
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 ニコス・スタンゴス編の『20世紀美術』という本を読み始めた。早速一節を。
「ウ゛ラマンクは後に振り返って、次のように書いている。
  
 私の情熱が、あらゆる種類の自由を手にすることを許した。私は伝統的な絵画の手法に従いたくなかった。習慣や現在の生活を改革したかった。〜ただ、私自身の目を通して見る新しい世界、完全に私のものである世界を再創造しようという、非常に強い衝動を感じていた。ーP,15ー」

 う〜む、音楽でもそれを思ったことが何度あったか!う〜んでもまだ考え中!
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by ko-charlie-ko | 2004-12-28 00:35 | おすすめ書籍
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 赤瀬川源平の『芸術原論』の一節より、
「そして現代も多くの人が絵を描いているが、快楽をもって絵具を塗っている絵というものは、なかなか見つけ出せないのである。みんな絵の中に絵具を塗っていながら、あまり楽しそうでないのである。
 絵具を塗ることが一番楽しかったのは、やはり印象派の人々ではなかったかと思う。あの人たちは絵を描くことが楽しいと同時に、絵具を塗ること自体が楽しかったのだ。あの時代に、絵具というそのものがあらためて好きになったのだと思う。ちょうど大昔にはじめて絵具を使ってみた原始人のように、絵具を塗ること自体が嬉しかったのだ。〜」ーP、75
 ふ〜むこれは音楽にもあてはまるね〜。覚えておきます!!
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by ko-charlie-ko | 2004-12-28 00:21 | おすすめ書籍
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 「何かを得れば、何かを失う。」そんなことを今日は思った。うまくなれば、うまくなるほど失う物もある。知識を得れば得るほど、子供のような想像力、ユーモア等を失う。それは大人になればなるほど、失う感覚もあるだろう。テクニックが上がり、音程が良くなり、タイムがしっかりしていくほど、「揺らぎ」がなくなる。意識的に「揺らぎ」を作ってもそれは嘘の揺らぎだ。テクニックが上がれば早いパッセージも吹けるようになる。だけど、それによって語りすぎるという面も持つ。始めた頃の語りたくても語れない状態というものにもたくさんの魅力があると思うのにだ。不思議になる、初心者なら誰でもやるようなことを音楽全体のサウンドの一部として使っている人、その音をいかしてサウンド造りをしている人が驚くほど少ない。自分はチャーリー・パーカーやジョン・コルトレーンのように多くを語りたくはない。どちらかというとのばしとかが多くて、浮揚感がする感じがいい。レスター・ヤングは近いけれど、完全な一致はない。まあ、ここで自分の理想のスタイルを定義するのはやめよう。なぜなら、言葉とは不便なもので、思ったことを100%伝えるものとしては適さないからだ。ここに書けば定義したつもりで、必ず定義しきれない部分がある。書くことで、わかったような気で失うものもある。
 世間的に良いと言われるものにアンチの旗をあげたくなる。昔、ネットでロックサックスを検索したら、スゲーへたなやつがヒットした。ピッチがひどい、ひどすぎる。明らかに、おととい始めました的な感覚で、CDを出したみたいな。だけど、そのサウンドが全体を通すとえらく印象深い。そんな魅力を追いつつクオリティーをあげるスタイルがあってもいいんではないか?
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by ko-charlie-ko | 2004-12-28 00:01 | 個人練日記

12月27日の練習レポ

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 今日はいいことがあった。テナーとドラムの先輩が言っていた。「コードで吹く」、「お前ほんとうにブルースが頭で鳴っているのか?」という発言に対する答えらしき物がつかめた気がする。ブルースのアルペジオを昨日の夜、ピアノで引いていた。すると何回も繰り返すうちにコードの響きを覚える。するとその響きを記憶させてプレイすると不思議と何かブルースらしきモノに聞こえてくる、エラーもわかる。それは理論的にあっている音でもだ。この響きを記憶することが、アドリブへの近道なのだと思った。
 また、マイルスの言っていた「コードを転回させろ。」という言葉も結構理解出来た。ルートを変える。C7ならEやGをルートにしてみるとコード構成音は同じなのにサウンドが全然違う。異なる色彩を表現出来る。またこの響きを記憶してプレイすることで多くのことが出来る。
 思うにサックスは単音楽器だ。つまり何か2音吹けばインターバルが発生し、ある響きが生まれる。わかりやすくいうとあらゆるフレーズには細かくあるコードのサウンドを帯びているという認識。どこをルートと考えるか?この「ルート」は各コード内での話だけど。一般的にフレーズの最低音がルートの認識を与える気がするが、例外も多数あるだろう。
 なんとなくロリンズが何をやっていたのかわかる気がする。ベースのラインも同じことが言える。ああ、、眠い。またの機会に。
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by ko-charlie-ko | 2004-12-27 02:08 | 個人練日記
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 シャワーを浴びて、頭を洗っていると、なぜか目をつぶっている状態の黒い画像の中に意味の分からない絵がフラッシュバックのように浮かぶ、これは何だ。どこの引き出しから出てくるのだ?知らない人の肖像が、火山、風の流れ、なんか光っている物、ワリオ、人差し指、、、というふうに。「表現」というものを考える時、その表現対象は何であれ、それを「自分」がどう思うか、感じるか等、「自分」という存在にぶつかる。即興演奏においてもより高次な段階においてはより内側つまり「自分」というものと向き合うことになる。なぜなら旋律は内側からわき上がってくるもので、外から持ってきて貼付けても「歌」というものには当てはまらない。もっともこの貼付けすなわち「コラージュ」という認識は複製時代の産物で、これを積極的に表現の方法として使用しているアーティストは近年多くいらっしゃるが、う〜んなんだかわからなくなってきた。話を戻すと
 その「自分」から沸き上がるものというのが、表現につながりそうで、いまいちつかみどころがない。いったいどこからくるのだ?ふと思ったのは何か自分の世界の外側に世界があって、そこから「情報」がときどき漏れてくる感覚に近い。イデア論?ところが、この漏れてくるものは何かに反応して漏れてくるのであろうか?それとも無関係に漏れてくるのか?う〜んさあ〜しらね。でも、これが何か外的刺激になんらか対応しているとなれば、表現の大いなる進歩につながるであろう。他にももっと考えたはずが、何かぼーとする。2時近いしな。記憶も漏れてくるニュアンスにちかい。この辺はいくら理科とかで教わってもすんなりハイというわけにはいきませんね。
 
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by ko-charlie-ko | 2004-12-27 01:47 | 表現・芸術について思うこと

ふと思ったこと

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 最近、即興演奏について、なんとなく考えがまとまってきた。即興演奏において即興とはどういうことなのであろうか?前もって用意していたフレーズを吹くというのは、なんというか音楽を聞き込んでいけば、あまりいいソロには結びつかないように思う。というのはどうしても「ほんとにその音吹きたいの?」という疑問を投げかけたくなるからだ。つまり、自分の意思とは無関係に存在しているために、ソロをその人の『話』と考えたときにまったく話題、話の流れとは違う構文集などの文をしゃっべっているにすぎないと思われる。であるから大学の先輩たちは頭でなったものを吹けばいいと言うのだが、その「即興」で頭に浮かぶモノというのにやはり疑問を持たざるを得ない。人の頭に浮かんでくるフレーズというのはどこからくるのか?バカらしいかもしれないけど、ほんとにじっと目を閉じて自分の中から出てくる音を聞けたとした時、ほんとに自分の中から無尽蔵に永久に出てくるモノなのか?だとすれば、赤ちゃんを経て意識が芽生えた小学生くらいの子供でさえもその方法ができた子はたぐいまれな想像性を発揮し、天才的になっているはずである。ところが現実には10歳をすぎて世に出てくるケースが多い。また、そういう子は家族が音楽一家等であることが多い。僕が思うのは音楽を一生で一回もまともに聞いたことがない人が、もしくは生まれながら耳が聞こえない人は、はたして天才的な音楽をクリエイト出来るのか?もっとも後者については実に興味深いと思うが。またジャズを聞いたことがない人間がジャズをプレイできるのか?
 ここで、ちょっと話題を変えて人間の個性について考えてみたい。人間の個性とは何によって決定されるのであろうか?また、人はいつも何に基づいてしゃべり、行動しているのか?今日しゃべったこと、昨日しゃべったことはどこから出てくるのか?どこかのアニメの言葉を借りれば、「記憶」というものによるのだと思う。自分が今こうして、存在しているように感じるのも「記憶」のせいだし、話の話題、喋り方、自分の性格すらもおそらく「記憶」のせいだ。つまり、「記憶」と言う漠然としたものによって思考し、自分というものが存在しているかのような気持ちになる。よく分からないけど、即興演奏において、どこからメロディーがやってくるのかということに関してもおそらくこの「記憶」の部分からであるような気がする。
 つまり、生まれながら天才で無限にフレーズが出てくるようなケースはきわめて、まれで、自分にそのような才があると期待しているときほど時間の無駄であるときはない。何によって出てくるかといえば、記憶、経験によるものだとすると、記憶、経験を豊かにすることが全うな方法であろう。
 もう、、、疲れました。また、次回に。
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by ko-charlie-ko | 2004-12-24 23:18 | 個人練日記

12月16日の個人練

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 今日は昨日大学のシャワー室を利用した結果、風邪を引いてしまったもよう。なので、基礎練後イメトレをすることにした。これが結構いい!!ソフトリ=をやったんだが、イメトレでソロを練習すると、まずリードシートを見ずに頭の中にリードシートが浮かぶようになってくる。これにより今までよりずっとソロの計画が立てやすくなる。どこで入ってどこで終わるか、どういうリズムでやるか、どこで盛り上げるかとか。つまり、吹かない分そういうのを考える暇ができる。今までより何小節も先のことを考えられるようになる。ハーモニーも完全に覚えていないとダメだし、とりあえずいい!!どこでもできるし。イメトレ以上のソロはきっと吹けない気がする。でも同時にイメトレのレベルが上がればソロのレベルも飛躍的にあがる気がする。もちろんピアノ、ドラムも仮定してやらないと意味ないが。う=んいい発見だ。
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by ko-charlie-ko | 2004-12-17 01:26 | 個人練日記

12月15日の個人練

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 最近、ちょっとスランプぎみだったのだが、昨日はちょっといいことがあった。
 自分のアドリブを録音して聞いてみると、やっぱりあんましかっこ良くないのだが、なぜかっこ良くないのだろうと思い、ロリンズの『ヴィレッジヴァンガードの夜』を聞いてみると、まあ、いろんな違いはあるものの、さしあたって、<フレーズの入り>が絶妙なタイムで入ってくることがわかった。僕のソロは前「お前のソロは音をのばしたり、休んだりしたときにタイムがとぶから、今どこなのか全然わからない。」と言われた。これはなぜだろうと考えたとき、まず一定のパルスキープ能力が足らないんだと思っていたが、どうもそれだけでなくフレーズの入りがここだと思うとこで、ジャストで入ってこないからダメなのではないかと。
 そこで、メトロノームをテンポ100に合わせ、4分音符でダッダッダッとメトロノームと出音がずれないように練習してみた。結構ムズイ。息の圧力がたくさんいるらしい。しかし、その後の練習の録音を聞くと明らかにイイ!!言いたいことがわかる!!ちょっとかっこいい。
 という風にしていると、ひょっとして音楽のかっこよさは、音使いよりもタイムの面が大きいのではと思うようになった。
 それと平行してレッスン課題の「モチーフを3回繰り返し、そのケツに新たなモチーフをくっつけて永遠とソロをとる」をやってみた。
 結構、ムズイ。でもしだいに出来るようになってきた。録音を聞いてみると明らかにいい。繰り返し繰り返しで単調かもしれないが、それはモチーフをやっているからだけではなく、音量、音域、密度がまだ平坦なのであって、モチーフそれ自体は出来ないよりできたほうがいい必須の能力と言えると思う。素直に面白い!!前後は確かにつながっている。ソロで吹いた音、つまり言い出した話題にそって話続けられる能力は大きな力になりそうだ。勿論この吹き方は一つのスタイルであって、別にこうしなければいけないとそういうわけではない。モチーフ展開がなく一見前後の脈絡がないようなソロですごくいいものを吹いた人もたくさんいるわけであるが、コルトレーンの『インプレッション』のようにこれだけでソロをとる人もいたわけである。なので、しばらく僕はこのスタイルでいこうと思う、一つのスタイルを極めるのは多くの偉大なミュージシャンがやってきたことだ。
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by ko-charlie-ko | 2004-12-16 11:40 | 個人練日記